AKSEKAISHI for History & Education

今日で51歳になりました。

おはようございます。

51回目の誕生日を迎えました。

50代になり人生の可能性が広がったと感じています。

向上心を大切にしながら、感謝を忘れずに、一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。

51歳になるにあたり一年間の目標を3つにまとめました。

1 家族の成長に寄り添う良き父であれ

2 健康は未来へのバトンー良く食べ、良く休み、良く眠れー

3 自分らしさを大切に、未来を見据え、歴史や教育の可能性に挑め

です。

1 家族の成長に寄り添う良き父であれ

子どもがこの春、小学生になります。

日々接していて、今が一番大切な時期かなと感じています。

内面がどんどん成長していますね。

子どもの成長はとても早いなと感じています。

2025年の年初はひらがなで日記が書けたことを喜んでいたのが、2025年の10月には漢字検定10級を受験して合格するまでになりました。

全く予想していなかったので、びっくりです。

2026年は、一応、親子で、漢字検定9級合格という目標を立てたのですが、今のところ見ていると9級は年内になんとか合格できそうです。もしかしたら次の8級に進めるのではないかと考えています。

昨年の春に、5歳だった息子に、天国について聞かれ、答えに窮したまま、年を越してしまいました。とりあえず、亡くなった人が行く場所という説明になっていますが、今年はこの問題にもう少し深く向き合いたいと思います。

年末に、クリスマスの由来を質問され、イエス=キリストの誕生日だと教えたのですが、これに関する絵本や教材を準備しておらず、もっと知りたいようだったのに、うまく応じてあげられませんでした。

そこで今年は、宗教的なものに向き合い、語彙を増やしながら、12月にクリスマスの由来について親子で話したり、聖書の一節を読めるくらいになりたいと思います。

父親と一緒に活動したり出かけたりするのも小学校低学年くらいまでかなと思っているので、この一年は特に子ども中心に、家族の成長に寄り添う良き父親でいたいと思います。

2 健康は未来へのバトンー良く食べ、良く休み、良く眠れー

40代の終わり頃から、健康の大切さが身に染みてわかるようになりました。

若い頃から割と健康に過ごしてきたと思うのですが、やはり加齢には勝てませんね。

2023年の6月に肺炎で10日間ほど休まなければならなくなりました。

このnoteを始めたきっかけが、実はその肺炎の療養です。体調が良くなり、時間があったので、何気なくはじめてみたものが、今日まで続いているわけです。

2023年は年末にも寝込んでしまい、2024年の正月は、頭痛と高熱で家族の判断で救急搬送となり、約40年ぶりに救急車に乗りました。

2023年度は、高校3年生の担任でしたので、仕事の疲労も蓄積していたと思います。

このため、2024年度は、健康に留意してのぞみ、大きな病気をせずに過ごす事ができましたが、学期の終わりや年末などに、軽く体調を崩すことも増えました。

2025年も、一学期末や二学期末に、どっと疲れが出て、特に二学期は、一日早退、翌日一日休暇ということになってしまいました。

加齢を実感している今日この頃です。

特に2025年4月からは、通勤距離が伸びて、これが思ったよりこたえています。

近いところを選ぶこともできたのですが、こういう環境で働きたいという意欲を優先して選んだ結果、通勤距離が延びてしまいました。

世界史の教員は、割と異動が大変なんですよね。

英語や数学や国語と違って、理科と地歴公民は基本的に専門科目が空いているところにしか異動できないのです。

加えて、現在の学習指導要領になった4年前から、世界史の必修がなくなったことも影響しています。

かわりに歴史総合と地理総合が必修になったので、どの学校も新たに必修になった地理の教員を求めている一方、必修から外れた世界史の教員は希望通りの異動が難しくなった印象を受けます。

そんな中、条件が良かったので、少し遠くてもいいかなと思い、現在の勤務先を選んだわけですが、50代になったこともあり、通勤が思った以上に疲れます。

良く食べ、良く休み、良く眠らないとだめだなあと思います。

心身のメンテナンスを心がけて日々を過ごしたいと思っています。

3 自分らしさを大切に、未来を見据え、歴史や教育の可能性に挑め

今年で教員になって30年目を迎えます。

現場での「経験」と並んで、大学時代から学んできた「教育学の知見」が、若い頃に考えていた以上に重要な意味を持っていると実感するようになりました。

若い頃は、教育学というのはやや理想主義的な傾向がある学問で、理論は理論、現場では現場の経験が大切だ、などと斜に構えていたのですが、若気の至りでした。

現場での経験が積み重なれば重なるほど、それを生かし応用していくには、教育学の知見が役立つことが身に沁みて分かってきました。

教育学者たちの理論や研究は、理想主義なんかではなくて、ちゃんとした道標であることが、遅まきながら分かってきたのです。

ライフワークとして取り組んできた歴史教育についても、今年はさらに充実したものにしていきたいと考えています。

三学期、歴史総合の授業が21世紀に入っていて、先日も、同時多発テロのお話やブッシュ大統領、オバマ大統領のお話をしました。

そうしたら、驚いたことに、驚いたことにというか、考えてみればまあそうなのですが、今の高校一年生は、オバマ大統領を、クラスの何人かが、かろうじてリアルタイムで知っている程度なのです。

過去の映像としてはもちろんみんな知っていますが、オバマ大統領が現役当時に、リアルタイムでテレビや報道で見たことを覚えている、という生徒は、少数派でした。

幼稚園の頃は、報道やアメリカ大統領について、まだ興味や関心がないですからね。

私の6歳の子どもも、テレビでお正月のニュースにトランプ大統領とベネズエラのニュースが流れると、国旗に詳しいので、画面に映った国旗を見て、嬉しそうに「アメリカだ」「これはベネズエラ」と喜ぶだけで、トランプ大統領が誰かはまるで興味がないようでした。

1975年生まれの私も、カーター大統領やイラン=イスラーム革命(1979)はリアルタイムで覚えていなくて、かろうじてモスクワオリンピックボイコット(1980)の報道を覚えているかいないか、という程度です。リアルタイムで知っているのはレーガン大統領からですね。

今の高校一年生が、小学校一年生の時に、トランプ大統領が登場しましたので、彼ら世代がリアルタイムで知っている大統領は、トランプ大統領とバイデン大統領の二人だけなのです。

これには驚きました。中高生時代に報道でリアルタイムで見ていた、私にとってのレーガン大統領とブッシュ大統領が、彼らにとってはトランプ大統領とバイデン大統領なのだということを実感した時に、歴史教育に携わる者として、役割の大きさを痛感しました。

歴史を多角的な視点で読み解き、未来に生かしていけるような、そんな歴史教育ができたらいいなと思っています。

さて、今日ですが、授業はお休みで、合唱コンクールがあります。

一日かけて、各クラスが練習の成果を発表する日です。

私が担任をしているクラスは午後、全体の15番目に発表します。

合唱好きの私にとっては、最高の誕生日プレゼントになりそうです。

新しいステージの幕開け。

来年の今日、無事に52歳になれたとしたら、その時、充実した51歳だったと満足できるように、一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。